スポーツはいつも、熱狂と感動を人々に与え続けていますが、その判定は常に審判によってなされています。
そして、”世紀の大誤審”として語り継がれる場面が、スポーツの世界にはいくつもあります。
それは、元柔道家の篠原信一さんの身にも起こりました。
シドニーオリンピックでは、柔道男子・100キロ超級で銀メダルを獲得されています。
しかし、この銀メダルを思い出すときに、多くの人が同時に「金メダルだったはず」と思うでしょう。
シドニー五輪での篠原選手のこの試合は、日本のオリンピック競技の歴史の中でも”世紀の大誤審”として語り継がれていることでも有名です。
事実はどのようなものだったのか、またこの試合の主審はその後どうなったのか、これらについて紹介したいと思います。
篠原信一シドニー五輪決勝での誤審の真相
2000年9月22日、シドニー五輪・柔道男子100キロ超級の決勝が行われました。
篠原信一選手(当時27歳・旭化成)は優勝すれば、1988年ソウル五輪の斉藤仁さん以来の最重量級での金メダル獲得のチャンスという状況にいました。
対戦するのは、フランスのダビド・ドイエ選手(当時31歳)です。
世界選手権4回オリンピックで1回優勝している実力者でした。
シドニー五輪で優勝すれば、同じ世界選手権4回オリンピック1回を制覇している日本の山下監督を上回る可能性がありました。
試合は1分30秒過ぎ、篠原選手が内股透かしで1本を取ったかに思えました。
副審の一人は篠原選手の1本を、旗を挙げて示しました。
しかし、もう一人の副審と主審はドイエ選手の有効ポイントと判定しました。
電光掲示板に横に座っていた斎藤仁コーチは大声で審判に抗議。
篠原選手は戸惑いを表情に出しましたが、競技は続行。
そのまま優勢に試合を進めたドイエ選手が勝ち、金メダルを手にしたのです。
内股透かしの有効ポイントが勝敗の決め手になりました。
試合終了直後、篠原選手は3人の審判団に抗議しました。
客席で見ていた山下監督も駆け下りてきて、30分におよぶ猛抗議をしますが、判定は覆りませんでした。
その後、日本選手団の山下監督は、国際柔道連盟(IJF)抗議文を提出しました。
シドニー五輪後に行われた国際柔道連盟の審判評議会では、篠原選手の内股透かしをドイエ選手の有効ポイントとした判定が誤審であったことを認めました。
しかし同時に、「主審、副審が試合場を離れた後には、主審はその判定を変えることはできない」という規定により、篠原選手の銀メダルも確定したのです。
そして、この試合の主審に対して罰則を与えないことを決めました。
篠原選手が内股透かしをかけた時、多くの人にはドイエ選手が畳に背中から仰向けに落ちたように見えました。
特に日本人には。
試合直後から、この判定に対する日本メディアの報道はヒートアップし、ドイエ選手への取材も行われました。
ドイエ選手の主張は、「技をかけていたのは自分の方」、「そのことは篠原選手も分かっているはず」、「顔から倒れないために自ら転がった」、「一人の副審は誤ったが、主審は正しい判定をした」、「篠原選手は素晴らしい選手」といった内容のものでした。
「不満はありません」と語り、この判定を潔く認めた篠原選手でした。
しかし、表彰台で涙を隠すためにうつむくその姿は、多くの人の記憶に残ったのです。
シドニー五輪決勝での審判は誰でその後は?
この試合の主審を務めたのはクレイグ・モナガン氏です。
モナガン氏は、ニュージーランドのオークランドで教師をされていました。
試合直後より、モナガン氏の元には日本から「篠原選手に謝罪しろ」、「柔道界から引退しろ」、「ニュージーランドは憎まれる国になった」、「お前を殺してやりたい」という抗議、誹謗中傷、脅迫のメッセージが届くようになりました。
こうした出来事によってノイローゼ気味となったモナガン氏は、ニュージーランド国外へと去りました。
国際柔道連盟は、審判が試合の判定についてメディアに話すことを禁じています。
日本の柔道界からも、この激しい抗議を諫める発言がありました。
その中には、「個人を責めるべきではない」という声や、「篠原選手の潔さを汚す行為」として非難する声もありました。
まとめ
スポーツの判定は人間が行うものであり、人間は間違います。
機械に委ねたとしても、機械も人間の作り出したものです。
また完璧ではありません。
先日も、VARという映像による判定を取り入れたサッカーで疑惑の判定がありました。
機械を導入しても、なおなくならない判定の議論に少々呆れもしました。
判定の不完全さは、こうして議論を起こしますが、その判定が自らに有利に働く日もあります。
そうした自らに有利働いた、「疑惑の判定」については語られることはほとんどありません。
篠原さんは実に不運でした。
そして気の毒に思いました。
しかし、この不条理を乗り越えた篠原さんは、やはりすごい人だと感じます。
そして、世界で2番目に優れた柔道家になったという事実は、多くの人々の記憶に残っています。
それで十分のように思えます。
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